【活動報告】3/16のあそびば桑園

朝の曇り空はどこへやら。青空がまぶしい快晴で穏やかな暖かさの1日でした。
3月のあそびば桑園は60名ほどの参加者で冬の公園がにぎわいました。


■こんなときはアイス
公園の近くのスーパーに何やら買い出しに行って戻ってきたこども達。 その手にはアイスを盛ってます。「こんな時はクーリッシュ(アイスの品名)だね~」と談笑しています。

たき火にあたりながら、絶え間ない、なんてことのない事を話しています。
「学校やだな(学校の設備が古すぎる)」
「家帰りたくない(お昼に帰ってこいって言われてるけどめんどくさい)」
「増税メガネ(みんながそう言ってるから。理由は知らん。)」

言葉尻だけ聞くとオイオイ、って感じなんですが、よく聞くとなんてことはない理由だったりします。こういう事を”だべれる”時間と空間がいいですよね~。


こういう時、あそびばの大人としては、会話に入ることもあれば、入らない事もあります。
どっちかというと会話に入らない事が多いかな。特に余計な事を言ってしまいそうな時は、会話に入らないように気を付けてます。
ただただそこに立っている木になるような心持ちでしょうか。

こども達の世界がそこに出来上がっている時、ただただそこにいる存在。
そういうときの大人はこども達にとって無害なんです。
そうするとこども達はどんどん話を展開していく。

言葉だけ聞くと思わず「う~ん」な時もあるかもしれないけれど、
実は言葉を発しているこどもたち自身も
「あ、今のはあんまりよくなかったかな」
「自分の気持ちと違う事言っているな」
「もっとうまく話せないかな」
なんてことを思っていたりもします。

そうやっていると突然
「ねぇ、てんぷら(私のニックネームです)はどう思う?」
なんて聞かれたりします。
さて、どう答えようかな?と、これまた頭を悩ます楽しい時間がやってくるのです。


■高さが無ければ掘ればいい
あそびば桑園では毎回ハンモックやモンキーブリッジを設置したりするのですが、実はこの時期の設置がとても難しいのです。
木の比較的高い位置に設置するのですが、足場の雪が緩んでるので、力を入れたらずぶずぶと埋まってしまう。そうすると低い位置に設置しなくてはいけないので、結局ハンモックなどは2~3人も乗るとハンモックの位置が下がってしまい、お尻を擦ることになります。

じゃあ1人ずつ乗ればいいじゃない。と思うのは大人だけ。
ある子が「!」と目を輝かせます。
「ハンモックの下を掘ろう!」
「いいね~」「やろうやろう」

一斉にスコップを持ち出して掘り始め。
どこまで掘るんだろうな~?と見ていると、わりと本格的です。
掘ってるこども達もだんだん面白くなってきたのか、
「もっと広くしなきゃ!」
「うわ、土見えちゃった!」
「階段作ろう!」
なんて声が聞こえてきます。


なんでもかんでも大人がセッティングしてしまうと、こういう動きはおきません。
便利だろう、と良かれでついついやってしまいがちなんですが
少々不便な方が実はいい。
あそびの「隙間」がそこにはある。
その隙間をこどもたち自身が広げていく事が
本当のあそびなんだと思うんです。

よく、その「隙間」を見せようと、大人が過度に関わったりします。
けれど、その関わり自体がもうすでに「隙間」を狭めてしまっている事に
大人は気づきにくかったりします。

この「隙間」を見つけるには、こども達にも経験や時間が必要です。
その日は気づかないかもしれない。
でも、繰り返しその場で遊んでいる事で、ふとした時にアイデアがひらめくかもしれない。
私達はそういう力がこどもにあると信じているからこそ、
関わりは最小限にしています。
そして、いつか気づく事ができるために、そうした経験と時間が得られる
常設の外遊び場を作る事を望んでいるのです。


■遊びの発展~道具編~
2人の男の子がコンテナやバケツに雪を詰めていました。
どうやらひっくり返して台にするみたいです。
このとき、ままごと遊びのために置いていて園芸用スコップを使っていました。
手のひらサイズですから、何度も何度も入れて雪を詰め込んでいる。

よく途中で飽きなかったな~、と感動すら覚えたのですが
この超がつくほど非効率なあそびは果たして、そうやりたいからやっているのか
それとも道具がそれしかないと思っているからやっているのか。
それが知りたいと思い、ちょっと仕掛けてみる事にしました。

まず小さめの剣先スコップを持って近くに行き、
ブロックを切り出してみる。
それを見て「そのブロックちょうだい!」と、すぐさま食いついてきました。
お?これは脈ありか?
そう思ってもう1個作ってみます。
そうすると別の子が「も~らい」とブロックを持っていく。
「あー、取られた~」と反応。
なるほどなるほど、園芸スコップを使いたいというよりは、
ブロックを作りたいの方に意欲が強いみたい。

そこで小さめの剣先スコップをその場において立ち去りました。
遠くから見てると、スコップを使い始めてます。
どうも読み取った通りみたいです。
もう一回今度は角スコップを持って、まったく同じようにすると、
今度は別の子がスコップをむんずと掴んできました。
使う?と聞くと「使う!」と言うので、そのまま渡します。
「これがあれば・・・かまくら出来んじゃね!?」
と若干興奮気味。
どうにも遊び心が広がった様子です。


さっき「隙間を狭めないように」と言いましたが、
全く関わらないわけではないです。
いろいろ関わり方はあるのですが、道具に関しては今回のように
「こうやればいいんだよ」と説明するのではなく、
実際に使っている姿を見せてそのモチベーション具合を推し量る事が多いです。

もし彼らが興味を持たなければ、そのまま私自身が遊んで、
彼らの遊んでいる場所の近くにイグルーを作ってたかもしれません。
今回の場合は「園芸スコップを使っていかにコンテナに雪を詰めるか」ではなく
「雪のブロックを作って遊びたい(構造物を作りたい)」の方に
モチベーションの重きがあったのでこうなった、という所です。


■見て!見て!

親子3人(母・兄・妹)でやっていた雪遊び。
お母さんと妹はいっしょに雪のブロックづくり。
兄の男の子は1人でせっせと雪の塊を作ってます。

近くに寄ると「ね!すごいでしょ」と声をかけてくれました。
が、雪の塊がどんとあるだけで、何と返事を返せばいいのか
正直今一つ分からない。
うーん。なんて答えるのが正解なんだ?
とりあえず「おお、でかいね」と答える。
男の子はそれを聞いて満足したのか、すぐまた作業に戻る。

で、離れた所にある焚き火をいじってると
その子がとてとてとやって来て、
「すごいのできたよ!」と。
遠目から見ると、さっきの雪の塊にバケツ1個分の雪がくっついたみたい」
「お~、そうなんだ~」と返事を返すと
またすぐに作業に戻る。

で、5分後くらいにまた「出来たよ!」とやってきました。
これは直接見て欲しいのかな?と思い
見せて~、と案内をお願いする。
さっきの雪の塊にさらに1個バケツの雪がくっついている。
「これ、僕1人でやったんだよ!」
あ~、なるほど。
隣で作業してる妹に比べて、自分1人の力でやっている事を自慢したかったのね。
「おー、1人でやったのか~」
「そう、妹はお母さんの力を借りてるから2人なんだけど、僕は1人でやったの」

そんな言い方はないんじゃないかとチラリと思いながら
でも力の誇示は男の子の本質だよな~、と思い直し
「そうなんだね~」と返事すると満足したのか、また作業に戻る。

その後もだいたい5分おきに呼び出されながら、行ったり行かなかったりを続けながら
ついに「完成した!」との声。
見に行ってみると、おぉ~。力作です。


昔、私の師匠が自分の息子に同じ遊びをせがまれて何度も同じ遊びを繰り返しました。
たしか17回くらいはやっていたはず。
その時はうへぇ、飽きないのかな。よくやるなぁ。なんて思ってました。
思わず師匠に「よく付き合えますね」と聞いたのですが
その時師匠は「彼がやりたいって思ってるからね」と答えたのをいまだに覚えてます。
そこに付き合える大人っていうのは、すごいな~と思うのです。

お母さんから「うちの子がしつこくてすみません」なんて声をかけられたのですが
いや~、全然。楽しかったですよ。と答えました。
本心です。
彼の「やりたい」に寄り添えてよかったな~。
おかげで面白い物がみれたな~。
そうか、こういう心待ちだったんだなと思いました。

他人の「やりたい」に寄り添うには余裕が必要です。
特にそれは自分のこどもならなおさら難しくなります。
だからこそ、あそびばにいる大人には余裕が必要ですし、
それが出来る場である必要があるのです。

日々忙しさの中に生きている私達大人にとっても、
こういう遊び場は大切なのだと、改めて痛感した出来事でした。


■遊びの発展~ギャングエイジ編~
ギャングエイジというのは、9歳くらいになったこども達がこれまで大人について遊んでいたり1人で遊んだりしていたのが中心だったのが、集団(徒党)を組んで遊ぶようになる事を表した言葉です。
私たちがひらいているあそびばにも当然こうしたギャングエイジなこども達が過ごしています。

こちらが用意した道具を使って遊んでるところ、ある瞬間に急に「鬼ごっこしようぜ」みたいに、別の遊びが始まります。
この日も雪に埋もれた遊具のあたりで唐突に雪合戦が始まりました。
この群れて遊ぶ、というのが幼児を抱えるお母さん方から
「小学生と遊ぶのはちょっと・・・」と不安がられたりする部分があります。
(特に初めてのお子さんの場合)

ただ、彼らなりに気を使っている部分があったり、そもそも自分達が好きに遊ぶためには十分なスペースが必要だという事も分かっているので、たいていは誰もいない空間を選んだり、大人の目の届かない場所を選んだりします。
屋外においては十分にすみわけできるわけです。


子育ても2人くらいになるとお母さん方も慣れたもので
「まぁ子どもってそんなものだよね」となります。

このこども達だけで群れて何かやっている状態、が一番こどもらしいと言いますか、
”あそんでるなぁ~”と感じます。
荒々しく遊んでいるように見えても、意外と気を使っていたり。
怪しげに見えても実はしょうもない事したり話したりしているだけだったり。
だから、大体の場合放っておいた方が良く、こちらに何かしてくることもないのです。

また、個人個人で付き合うととてもいい子が多いです。
赤ちゃんを見ると興味津々で見たり、
幼児と上手に遊んだり。

人間は未知に対して、大変心が不安定になります。
分からない事というのが、いかに心にストレスをかけるのか。
ギャングエイジのこども達が群れて何かしていると
「何をこそこそしてるんだろう?」
「なんか不気味」
「悪い事してるのでは?」
なんて思いがちなところがあります。
(まぁ、ちょっとした悪い事はしてるかもですが・・・)

でも全部を理解する必要はない、と私たちは考えています。
彼らも全部を大人に知られて管理されるのは望んでないでしょう。
それは、とても大きなストレスに感じます。
彼らは日常から自分たちの10倍近い数がいる大人の中で生活しており、
そのストレスに常にさらされているのです。
だから「大人の目の届かない場所・時間」というのが必要な事もあるのかな、
というのを覚えておいてもいいのかもしれませんね。


さて、あそびば桑園としての活動は今年度終了となります。
けれど、20日には桑園ご近所あそび(知事公館)がまだあります。
午前中2時間だけですが、ぜひ遊びに来てくださいね。

4月はあそびば桑園はないのですが、作業日DAYと題して
遊び道具を作ったり点検するちょっと変わった企画があります。
4/29(月祝)を予定していますので、そちらも決まり次第またお知らせさせていただきますね。

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