朝の曇り空はどこへやら。青空がまぶしい快晴で穏やかな暖かさの1日でした。
3月のあそびば桑園は60名ほどの参加者で冬の公園がにぎわいました。
こども達の世界がそこに出来上がっている時、ただただそこにいる存在。
そういうときの大人はこども達にとって無害なんです。
そうするとこども達はどんどん話を展開していく。
ある子が「!」と目を輝かせます。
なんて声が聞こえてきます。
さっき「隙間を狭めないように」と言いましたが、
全く関わらないわけではないです。
いろいろ関わり方はあるのですが、道具に関しては今回のように
「こうやればいいんだよ」と説明するのではなく、
実際に使っている姿を見せてそのモチベーション具合を推し量る事が多いです。
もし彼らが興味を持たなければ、そのまま私自身が遊んで、
彼らの遊んでいる場所の近くにイグルーを作ってたかもしれません。
今回の場合は「園芸スコップを使っていかにコンテナに雪を詰めるか」ではなく
「雪のブロックを作って遊びたい(構造物を作りたい)」の方に
モチベーションの重きがあったのでこうなった、という所です。
■見て!見て!
親子3人(母・兄・妹)でやっていた雪遊び。
お母さんと妹はいっしょに雪のブロックづくり。
兄の男の子は1人でせっせと雪の塊を作ってます。
近くに寄ると「ね!すごいでしょ」と声をかけてくれました。
が、雪の塊がどんとあるだけで、何と返事を返せばいいのか
正直今一つ分からない。
うーん。なんて答えるのが正解なんだ?
とりあえず「おお、でかいね」と答える。
男の子はそれを聞いて満足したのか、すぐまた作業に戻る。
で、離れた所にある焚き火をいじってると
その子がとてとてとやって来て、
「すごいのできたよ!」と。
遠目から見ると、さっきの雪の塊にバケツ1個分の雪がくっついたみたい」
「お~、そうなんだ~」と返事を返すと
またすぐに作業に戻る。
で、5分後くらいにまた「出来たよ!」とやってきました。
これは直接見て欲しいのかな?と思い
見せて~、と案内をお願いする。
さっきの雪の塊にさらに1個バケツの雪がくっついている。
「これ、僕1人でやったんだよ!」
あ~、なるほど。
隣で作業してる妹に比べて、自分1人の力でやっている事を自慢したかったのね。
「おー、1人でやったのか~」
「そう、妹はお母さんの力を借りてるから2人なんだけど、僕は1人でやったの」
そんな言い方はないんじゃないかとチラリと思いながら
でも力の誇示は男の子の本質だよな~、と思い直し
「そうなんだね~」と返事すると満足したのか、また作業に戻る。
その後もだいたい5分おきに呼び出されながら、行ったり行かなかったりを続けながら
ついに「完成した!」との声。
見に行ってみると、おぉ~。力作です。
昔、私の師匠が自分の息子に同じ遊びをせがまれて何度も同じ遊びを繰り返しました。
たしか17回くらいはやっていたはず。
その時はうへぇ、飽きないのかな。よくやるなぁ。なんて思ってました。
思わず師匠に「よく付き合えますね」と聞いたのですが
その時師匠は「彼がやりたいって思ってるからね」と答えたのをいまだに覚えてます。
そこに付き合える大人っていうのは、すごいな~と思うのです。
お母さんから「うちの子がしつこくてすみません」なんて声をかけられたのですが
いや~、全然。楽しかったですよ。と答えました。
本心です。
彼の「やりたい」に寄り添えてよかったな~。
おかげで面白い物がみれたな~。
そうか、こういう心待ちだったんだなと思いました。
他人の「やりたい」に寄り添うには余裕が必要です。
特にそれは自分のこどもならなおさら難しくなります。
だからこそ、あそびばにいる大人には余裕が必要ですし、
それが出来る場である必要があるのです。
日々忙しさの中に生きている私達大人にとっても、
こういう遊び場は大切なのだと、改めて痛感した出来事でした。
■遊びの発展~ギャングエイジ編~
ギャングエイジというのは、9歳くらいになったこども達がこれまで大人について遊んでいたり1人で遊んだりしていたのが中心だったのが、集団(徒党)を組んで遊ぶようになる事を表した言葉です。
私たちがひらいているあそびばにも当然こうしたギャングエイジなこども達が過ごしています。
こちらが用意した道具を使って遊んでるところ、ある瞬間に急に「鬼ごっこしようぜ」みたいに、別の遊びが始まります。
この日も雪に埋もれた遊具のあたりで唐突に雪合戦が始まりました。
この群れて遊ぶ、というのが幼児を抱えるお母さん方から
「小学生と遊ぶのはちょっと・・・」と不安がられたりする部分があります。
(特に初めてのお子さんの場合)
ただ、彼らなりに気を使っている部分があったり、そもそも自分達が好きに遊ぶためには十分なスペースが必要だという事も分かっているので、たいていは誰もいない空間を選んだり、大人の目の届かない場所を選んだりします。
屋外においては十分にすみわけできるわけです。
子育ても2人くらいになるとお母さん方も慣れたもので
「まぁ子どもってそんなものだよね」となります。
このこども達だけで群れて何かやっている状態、が一番こどもらしいと言いますか、
”あそんでるなぁ~”と感じます。
荒々しく遊んでいるように見えても、意外と気を使っていたり。
怪しげに見えても実はしょうもない事したり話したりしているだけだったり。
だから、大体の場合放っておいた方が良く、こちらに何かしてくることもないのです。
また、個人個人で付き合うととてもいい子が多いです。
赤ちゃんを見ると興味津々で見たり、
幼児と上手に遊んだり。
人間は未知に対して、大変心が不安定になります。
分からない事というのが、いかに心にストレスをかけるのか。
ギャングエイジのこども達が群れて何かしていると
「何をこそこそしてるんだろう?」
「なんか不気味」
「悪い事してるのでは?」
なんて思いがちなところがあります。
でも全部を理解する必要はない、と私たちは考えています。
彼らも全部を大人に知られて管理されるのは望んでないでしょう。
それは、とても大きなストレスに感じます。
彼らは日常から自分たちの10倍近い数がいる大人の中で生活しており、
そのストレスに常にさらされているのです。
だから「大人の目の届かない場所・時間」というのが必要な事もあるのかな、
けれど、20日には桑園ご近所あそび(知事公館)がまだあります。
午前中2時間だけですが、ぜひ遊びに来てくださいね。
4月はあそびば桑園はないのですが、作業日DAYと題して
遊び道具を作ったり点検するちょっと変わった企画があります。
4/29(月祝)を予定していますので、そちらも決まり次第またお知らせさせていただきますね。
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